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裁判所 左.JPG

原告高尾辰夫さんを悼む

原告高尾辰夫さん(仮名)は2020年11月17日、急逝されました。81歳でした。こころからお悔やみ申し上げます。高尾さんを偲んで追悼文が寄せられましたので紹介します。

ともに歩む兵庫の会事務局・大矢 暹 (ひょうご聴覚障害者福祉事業協会)

 高尾辰夫さんが、2020年11月17日にご逝去された。2021年3月の結審と判決を前にして残念でならない。高尾さんは、優生保護法による優生手術のろうの被害者として、全国初の提訴者でした。高尾さんの言葉と行動に励まされて提訴に踏み切るろう者が続きました。

 裁判と同時に病気との闘いで、命を削りながら迎えた第8回期日、9月24日の原告尋問で、渾身を振り絞る高尾さんの雄姿がよみがえります。

 高尾さんの意志・遺志を引き継いでいきましょう。以下は2020年6月に神戸地裁に提出された高尾さんの陳述書の一部です。

「わたくしたち夫婦にとって、優生手術は、忘れたくても忘れられない出来事です。ただ、これまで、手術のことは心の奥底にしまい誰にも話すことなく,50年間、ずっと黙って生きてきました」、「しかし平成30(2018)年3月頃、全日本ろうあ連盟の調査がありました」、「訪問調査を受け、この時初めて優生保護法という法律があったことを知りました」、「わたくしの受けた手術が法律によるもので国に受けさせられたものだということ、国に対して責任を求める裁判が仙台で起こされていることも初めて知りました」、「全日本ろうあ連盟の調査や、その後の大阪での全国ろうあ者大会を通じて、私は、自分たち以外にもたくさんの被害者がおり、その中にはもう亡くなってしまった人もいること、今も声を上げたくても上げられずにいる被害者もたくさんいることを実感しました」、「そこで、まずは自分たちが声を上げることで、勇気を出して名乗り上げる被害者が増えるのではと考え、裁判を起こすことを決意しました」。

 「私たちろうあ者は、聾学校では、『耳の聞こえる人に可愛がってもらわないと生きていけない』という教育を受けてきました」、「単に、耳が聞こえず、言葉が話せないということだけではありません。私たちは、聞こえるものに対して、自分たちから積極的に質問したり、意見をしたり、抵抗したりという考えを持つこと自体、できなくなっていました」、「それは家族に対しても同じです。いつもそうですが、母親に手術のために病院に連れていかれた時、私が母親に何も聞かなかったのは、聞いても説明してくれないと無意識に思っていたからかもしれません」、「結婚するのにどうして子供を作ってはいけないのか?」、「病院になぜ行くのか?」、「今から何が始まるのか?」、「自分は何故、手術を受けさせられたのか?」、

「裁判所には、こんな法律は間違っている、国は間違ったことをしたんだとはっきり認めてほしいです。そして、国に謝罪してほしいです」、「これまで、国は、法律や政策によって、優生思想や優生手術を推し進め、障害者を差別してきました。それなら、今後は、国が、積極的に法律や政策によって障害者差別をなくしていくべきです」。

 「障害のあるなしにかかわらず、個人の尊厳や人とし、人として当然認められるべき権利が守られる、当たり前の社会になってほしいと切に願います」、「裁判所には、その第一歩となる判断をしてもらいたいです」。

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